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祖父のこと

先日、母方の祖父がこの世を去った。
91歳、世間的には大往生なのだけれど
私達からすればあまりに突然すぎたように思う。

私は先に逝ってしまった祖母とは思い出がたくさんあるけれど
どちらかといえば、祖父とはそんなに関わってこなかった。
私の実家で暮らしていた最後の1年も
私は既に嫁いでいたから、帰省したときにごはんを一緒に食べるくらい。
それでも、1週間経っても祖父のことを考えない日はなくて
むしろすごくたくさんのことを感じたし、気づいたこともある。

ここへ書くような内容ではないし、迷ったけど
頭で考えているとなかなか前に進めないので
ここで書き留めておこうと思う。






いつも控えめで、言葉少なな祖父。
ひとり暮らしていた祖父をたまに訪ねてもほとんど話すこともなく
たいていは「おおきに、もう帰り」とすぐに帰されてしまった。

このたび病院に入院してからお見舞いに行っても
相変わらず「おおきに」とすぐ帰そうとした。
話ができなくなってからも、こちらの声はわかるようで
時折声ともつかない声を出して何か言おうとしているときは
ああ、また気を遣って(もういいから帰り)って言ってるのかなあと思った。





5月の連休は祖父も入れて
私の両親、私たち夫婦、弟夫婦と一同揃って外食した。
それが祖父と過ごした最後の思い出になるとは思いもしなかった。

あのときちょっと息切れしてて
私たちはいつも程度のものだと思っていたけど
祖父としては精一杯の力で出かけたのかもしれない。

帰りに父が車をまわしてくるのを2人で待っていたとき
いつもの戦争中の話をしてくれた。
祖父が私といて唯一饒舌になるのが戦争の話だった。
祖父は衛生兵だったけれど、前線の部隊にいたこともあり、
戦場のこと、ケガ人を手当てしたこと、どんなものを食べ、どんな生活だったかという話をする。
どちらかというと武勇伝的な話なのだけど、このときはちょっとだけ違った。
最後に言ったのは

「助けられた人もいたし、死んだもんもいたわ。
その人らの分まで生きなと思ってここまで来たけど、もう十分生きたわ」

そのときはいつもの弱気発言だと思って
「そうやで、生き残ったんやからこれからも頑張って生きなあかんで」
と私は答えた。

これがおじいちゃんとした最後の会話らしい会話。
でも、たぶん祖父にしたら特別な意味はなかったと思う。
まだ生きなあかんのかなあと思っていたくらいだから。
だけど、そのときその言葉を聞いたのはやっぱり意味があるような気がする。
だから今振り返って思う。
祖父が戦争から生きて帰ってきてくれて
戦後の混沌とした時代を生き抜いて、命を繋いできてくれたから
今の自分達がある。
この命をちゃんと繋いでいかないといけない、と思う。
おじいちゃんには本当にありがとうと言いたい。





祖父が入院していたのは3週間ほどだった。
入院したと聞いて、1度京都へ帰った。
でも、そのときは会話もできたし
また治って退院できるだろうと本気で思っていた。

その1週間後くらいに容態が急変した。
看護士さんに「夜に電話するかもしれません」なんて言われたというから
心配になって、すぐ翌日、朝一の飛行機で京都へ行った。
結局、電話がかかるようなことはなかった。
確かに前より状態はよくなかったけど、すぐどうこうというほどではなく、
看護士さんも後で「余計なこと言ってすみません」と言っていたくらいだった。
京都に1泊だけして、
次の日、帰る直前にもう一度お見舞いに行った。
来たことはわかったみたいだった。
「また来るからね」と言った。


母からの連絡が来たのは横浜へ戻る新幹線の車中だった。





母たちが病院へかけつけたときは、本当に安らかな顔で、
まだ生きてるんじゃないかと思うくらいだったらしい。
次の日に京都へ戻った私が見たときも、
元気だったときの祖父そのままで
なんだか不思議な気がした。

自分の子である母にも迷惑をかけたくないと言っていた祖父は
最期まで誰の手も煩わせず、
本当に穏やかに、静かにその生涯を終えた。
その時が来るなんて全く思っていなかったけれど、
今思えば私たちにちゃんとお別れの時間も作ってくれた。

派手なことは何も無く、地味な人だったけれど
多くの親族に囲まれて、たくさんのお花に包まれた祖父を見ると
祖父は幸せな人だなあと思った。
今までそうでもなかった祖父の存在が大きくなって
もっといろんな話をしておけばよかったと今になって思う。
祖父がどう思っていたのか、今となってはわからないし、
何をしてあげればよかったのかと考えると胸が苦しくなる。

でももうあとは、自分にできることを一生懸命やっていくしかない。
わたしも「十分生きたわ」って言えるように
頑張って生きていかないといけないと思う。

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[ 2007/06/10 22:18 ] つぶやき | TB(0) | CM(2)
おじいさま、お疲れ様でした。
優しいご家族に囲まれてきっと安らかなお旅立ちでしたでしょうね。
おととしの暮れに他界したやはり母方の祖父を思い出して胸が詰まりました。
数年前から病気がひどくなり同居していたんですが、私が結婚して渡英することになったときにはもしかしたらもう会えないかもしれないと思っていました。
もう無理かも・・と連絡が来て、一番早く取れた翌々日の便で帰国し、でも間に合わず旅立ってしまいました。
往生と言われても家族にとってはいつまででもいてほしいんですよね。
まだまだ話したいことがいっぱいあったのに。
胸に残った思い出や教えてもらったものは受け継いでいかないといけないなぁと思います。
先輩たちに恥ずかしくないように、受け継いだ命を大切に毎日を一生懸命生きていきたいですね。
[ 2007/06/12 04:48 ] きららノート [ 編集 ]
>きららノートさん
別れは誰もが通る道ですけど、きららさんのおつらかった気持ちを思い出させてしまってすみません。
> 往生と言われても家族にとってはいつまででもいてほしいんですよね。
> まだまだ話したいことがいっぱいあったのに。
そうなんですよね。でも元気なうちはなかなかそういうことは忘れててできない。
別れ自体も悲しいのだけど、後になって気づいた自分の不甲斐無さにもやり切れない気持ちでいっぱいになってしまって、悶々としていました。
でも悶々とだけしててもしょうがないのだ、とやっと思いました。私も受け継いだものを次の世代に伝えられるようにしていきたいと思います。
[ 2007/06/12 20:20 ] てー [ 編集 ]
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